タツオさん

タツオさん上世屋住民 2018施設へ/ 農業、林業

タツオさん

text photo/ hideki koyama(世屋人、百姓、猟師)

 

高齢化の進む上世屋でも男性最長老のタツオさん。上世屋生まれ、上世屋育ちという、今ではもう数少ない村人です。田んぼと山仕事を主な生業としてきました。今は、息子さんと二人暮らしです。

「この村で生きてきた」という自負がにじみ出た人、というのが僕の印象です。タツオさんの自負はどこに根差しているんだろう。

雪に閉ざされた冬の一日、昼間からおじゃまして話を聞いてきました。この地でよりよく生きるひとつのお手本をご紹介します。

 

昭和4年生まれ、今年で88歳になる。親父が50歳頃になって引退して農業やめたから、15歳から農業や山仕事してきた。わしは力があったし、百姓にむいとった。営林署に8時から夕方5時まで行って、夕方から農業しとった。田んぼは1町歩(100m×100m)あまりあった。営林署は20年勤めた。うちの山の植林も5、6反はやったな。力なかったらできへん。

上世屋は昔からよぉ働くとこだ。そういうもんが2、3人おるとみなが馬力出すようになって習慣になっちゃうんだな。当時は競争みたいなもんだった。田植えの日も休みの日もさなぼり(田植えを終えたお祝い)もみな村で日が決まっていた。仕事はしよかった。

 

上世屋も他の集落と同様に離村の進んだ時期があった。親しかった同世代も、下の集落へ出て行った。

屋敷の悪い(交通の便が悪い家)人は大変だった。機械も上がらん。稲を担いで上がらんなん。名残もなかっただろうで。

当時は、出ていくもんに、「残ってくれ」とか頼んだり、残ったもん同士で話すこともなかったけど「あの人、下に家買ったらしいでぇ」という噂聞いたり「あー、出ていくかぁ」いうようなもんだった。そりゃ、さびしかったな。

わしは出ようと思ったことはない。仕事嫌いだったらおられんけど、わしは何でもできたで。家を守りするんで一貫だった。

タツオさんは2014年春、介護の末に奥さんのチヅコさんを亡くした。葬儀の翌日、「長いこと畑の世話できんかったから」と草をむしっていたのを覚えている。

 

 

所作がないさけ畑でも出るんだ。お母ちゃんは体弱かったでな。年取ってからは畑もみなわしがやった。がしゃあ、日本一うまいじゃないかいうトマトできた。春は農協から苗が来るし植えんならん。張り合いがええわな。

 

机の向かいで飲んでいた息子さんから合いの手が入る。

 

上世屋は何をおいても仕事、仕事、仕事だろ。隣の駒倉(廃村)とかは違っただで。日曜はみな寺に集まって和尚の説教聞いとった。お寺が中心だった。

 

息子さんがさっと台所に立ってつまみを作った。この家は、酒のつまみは、めいめいが作ったそうだ。タツオさんが再び話し出す。

 

あんたに聞いてもらうことなんて何もないけど、祭りの太刀振りを復興したのはわしのやったことで一番大きいことと思っとる。あれは、わしがやったんだ思っとる。

 

 

かつて上世屋では春祭りが営まれ、子どもから青年まで太刀振り神事が営まれていた。戦争で途絶えていたが、1970年ごろにタツオさんらが復興させた。

戦争から人も戻ったしガクダイ(太鼓を載せる祭礼用の曳き物)もあった。区長に「絶対迷惑かけんさけ」と頼みに行った。家主(えぬし)会が中心になって学校の生徒10人ほどに毎晩のように教えに行った。祭りの朝、太刀振るもんはパンツ一丁で滝のところまで水浴びに行った。祭りの間は、親方の家にみな泊まり込んだ。真剣で大緊張だ。酒なんて飲まれへん。まあ、こもるいうことだな。

 

わしは太鼓たたきは名人だったな。みながドンドォンドーン鳴らすんだ。誰の太鼓か、音でみな分かった。村の人みな見に来てくれたなぁ。太刀振るもんがずらーっと並んで道歩いてきれいやった。まあ、祭りは子どもの成長の証しみたいなもんでもあった。復興したころは、まだそんなに村を出ていく人もおらず平和な時代やった。

 

しかしそれも10年ほどで途絶えてしまった。

 

人が減って途絶えた。高校行ったら帰ってこん。青年がおらんようになった。もぉ復興はできん。祭りのあるなしで何が違ういうことあらへんけど、あったほうが良かったな。

 

今、上世屋は20人が暮らす。うち2人は上世屋生まれの1歳児だ。

村が賑やかになった気がするな。孫みたいに思える。でも、絶対ムラには残らんな。百姓好きならだけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タツオさんへの10の質問」

・好きなお酒の飲み方は

昼と晩に焼酎と日本酒をまぜて飲む。日本酒は2ℓ紙パック一本が6日でなくなる。

・上世屋に暮らして好きな季節は

4月ごろ。トマトつくったり張り合いがええ。

・浮いた話はあった

ようけあった。昔は、村で芝居が流行って。わしはええ役者だった。まあ、もてた方だな。

・夜這いしたことはある

昔あったらしい。わしはしたことない。どこぞのおっさんの子生んどんなった。顔が似とるから分かるんだ。ああ、あの子はあの人の子だなぁて。なんや、あんたもやんなるか。

好きな景色は、または場所は

ダケ(岳山)のてっぺん。村の田んぼがみな見下ろせて眺めがええ。

・好きな食べ物は

最近、刺身食えるようになった。

・好きな歌手は

天童よしみ。なかなかテレビでやってくれん。でも、今は歌が違ってきた。よしみもあかへん。

・山仕事、田んぼ仕事、畑仕事のどれが好き、または嫌い

みなしてきたけど、みな張り合いが良かった。

・30年後村はどうなっていると思う

あんたらが終わったら終わりだ。あんたらも出ていくかもわからん。

・世屋に移住しようと考えている人に一言

まぁ来ん方がええで。こんな雪国かなわんと思ってすぐ出ていくで。

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風土に育まれ、風土を食べ、風土で作る。脈々とその営みは続いてきました。
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